セガール、涙のデニーズ

 「本連載では世界を変えたニュートリノの本質に迫ります。」・・・ぼくはページを閉じた。ニュートリノの本質に迫る知識も元気もないし、ここはデニーズ。デニーズでニュートリノの本質に迫ってしまったらもったいないな、と思う気持ちもあった。ぼくはこういうところで心の二の足を踏んでしまうことがある。
 
 たとえば、家で映画を見る時にご飯を食べながら見たりすることがある。ぼくが納豆をわしゃわしゃ食べている時に映画が泣けるシーンに突入してしまうと困る。格好がつかないのだ。わしゃわしゃと主人公が恋人を助け出すシーンの温度差は大きい。もったいないのだ。映画の中の彼らと、糸で口と箸で繋げたぼくは違う世界にいる。
 
 違う世界のことではなかなか泣けない。アフリカの子供の飢餓で泣くためにはストーリーと感情輸入が必要だと思うからだ。みんなもそうなのかな?と思う。そうじゃない人もいるのだろうか、と思う。セガールは納豆たべながら映画をみても大粒の涙を落とすのだろうか。セガールは泣くのか?わからない。納豆は好きそうだ。
 
 デニーズのカウンター席の並びにはサラリーマンの男性が座っている。電話口に「はい!はい!あ〜、そこ一度確認します」元気に話している。うん、確認します。と思った。ぼくは確認をけっこうちゃんとするほうなので、確認する彼に好感を覚えた。確認というのはいつごろからあるのだろう。原始人は何かを確認したりしてたのだろうか?洞窟から一回出て空模様を確認して洞窟の中の家族に「雨だったよ」みたいなことをやってるイメージがあまりない。
 
 カウンター並びの端のほうには別のクリエイターっぽい男性が「そうっすよね…うん、うん…なるほど…クライアントのアイデアで…はい。もうすでに一度やってますもんね!」そうか、一度やってることだからいけるもんね…みたいな感じ。そして本案件はクライアントのアイデアなんだ。どういうアイデアなのかわからないけどクライアントのアイデアだから尊重しよう、みたいな感じなのだろう。
 
 そう思っていると一人目のサラリーマンがコーヒーのお代わりを断った。デニーズはドリンクバースタイルじゃなくて、店員さんが抜け目のない確認で人々のコーヒーの残量をチェックしていて、無くなりそうになるとコーヒーポットをもってきてホットコーヒーを注いでくれるシステムだ。ぼくはそこが好きだからデニーズによく居る。
 
 「ぼくもう帰るんで!大丈夫です!」彼はスッと格好いい感じで席を立つをヒュンっという感じで帰って行った。
クリエイター男性はマスクをつけてパソコンに向かっている。画像編集ソフトのPhotoshopイラストレーターかな、でも、クライアントのアイデア…アイデアを形にするならパワーポイントかKeynote(アップルのソフトウェア)かな、と思った。
 
 クライアントのアイデアを形にする仕事なのか。世の中にはそういう仕事もあるみたいだ。アイデアを形にする、っていうのがどういうことなのかもぼくはよく分からないけど、マスクのクリエイターは綺麗な姿勢で黙々とタイピングしている。ぼくもこの文章を黙々とタイピングしている。